『朝日新聞、○ね』
“日本維新の会の足立康史衆議院議員(比例)が
自身のTwitterで「朝日新聞、死ね」とツイートした。
ツイートは拡散しており、同調する声もある。
公人である国会議員が報道機関に対し、
また、一私企業に対し、「死ね」という
言葉を使い、批判を煽っている。
いったい、どのような意図があったのか。”
【維新議員が朝日新聞に「死ね」とツイート。】
《参考/引用元》:『BuzzFeed Japan』[11/13(月) 18:23配信]
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今回の発言は見て分かる通り、昨年流行語として
取り上げられ、その暴力的な表現から物議を醸した
「保育園落ちた日本○ね」を意識した言葉である。
(`・ω・´)
日本維新の会の足立康史衆議院議員は、
「“朝日新聞の加計学園問題に対する扱い方への
異議申し立てを考え得る最も厳しい言葉で非難した”」
と述べた様だ。まぁ確かに野党や一部報道機関の
この問題に関して異常なまでに固執する姿勢には
疑問を感じるし、憤りを感じるのも十分理解できる。
( ̄△ ̄;)
ただ、個人的な感覚で言わせて貰えば、
この「朝日新聞、○ね」という言葉自体は、
流石に国会議員の直接の発言(ツイート)としては、
品位に欠けているし、問題提起をするにしても
適切な言葉であったかは、正直微妙な所だとも思う。
(´・ω・`;)
【<維新>足立議員、ツイッターに「朝日新聞、死ね」と投稿】
《参考/引用元》:『毎日新聞』[11/13(月) 22:19配信]
だが一方で、今回の発言に対する意見として、
「“保育園に落ちた一人のお母さんのつらい立場の
発言をまねしたのだろうが、根本的に違う。”」
という意見も一部にある様だが、その背景に
どんな思想や考えがあったとしても、結局の所は
『
自分が憤りを持った対象に対して、
「死」という表現を使って暴言を吐いた』
というだけなので、むしろ根本的には同じであろう。
( ̄▽ ̄;)
これは最近の「ヘイトスピーチ」や「不倫問題」
等にも共通することだが、マスメディアや、
政治家・思想団体界隈では、同様の言動でも
【
自分の言動は、正義だから許される】が、
【
他人の言動は、悪だから許されない】の様な
所謂「ダブルスタンダード」と言われている
自分勝手な理屈が、まかり通っているのも事実だ。
(`・ω・´;)
【マスメディアがネットに完敗した年】
そもそも、本来なら『○ね』という暴言自体を
【悪い】と教えなければ、ならない所だと思う。
だが、昨年「保育園落ちた日本○ね」という言葉を
マスコミや野党が、まるでそれが正義の言葉の様に
取り上げ、流行語にまでしてしまった事により、
公共の電波を使って「『○ね』という言葉は、
場合によっては使っても良い言葉である」との考えを
【正しい】と認めてしまったと言っても過言ではない。
( ̄△ ̄;)
足立氏も『○ね』という言葉に対しては、
「“私自身は許容されると思っていないが、今の
国会と日本社会は是としているようなので使った”」
と述べている。確かに昨年の例に合わせて考えるのなら、
『保育園落ちた日本○ね』を《是》とするのであれば
『朝日新聞、○ね』は、適切ではなくとも《是》と
しなければ、筋が通らなくなってしまったのだ。
本来は、子供に『○ね』と言う言葉を【悪】だと、
教える立場にある大人達がそれを【正義】の言葉として、
利用するとは…まったく嫌な世の中になったモノです。
(´・ω・`)
去年の年末には、賛否両論あった『○ね』発言が、
一年後には、こんな形で新たに問題提起がされ、
当時、笑顔で壇上に上がっていた山尾衆議院議員は、
今年の年末には、今度は自分自身の話題でもって再び
世間を賑わせているというのは、なんとも皮肉な話だ…
(⊃`・ω・´;)=⊃
【たけし、山尾志桜里氏に疑問】
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